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秋葉三尺坊大権現とは?

秋葉三尺坊大権現は、長野県戸隠村で生まれ育ったと言われる実在の人物です。幼少時代に新潟県の蔵王権現堂へ修行に行き、10歳の時、戸隠の父の元に戻られています。
20代で比叡山の千日回峰行を終えて大阿闍梨となり、蔵王権現堂十二坊のうちの第一である三尺坊の住持を務められました。20代の後半、真言秘密不動三昧之法を修得され、人間七難八苦のうち、火難を救うべく身火心火の術と悟りに至ったとされています。

その後、諸国を遍歴して教えを説かれましたが、最終的に今の静岡県春野町にある秋葉山に脚を留めてこの山を愛され、火防の大魔神力を持って人々の火難を救われたそうです。また不動明王の化身とされ、白狐に乗って神風のごときスピードで移動すると言い伝えられています。

※権現とは、かつて人間であった人が、そのあまりに超人的な力量のために、後世の人に神としてあがめられることを言います。

福厳寺に伝わる秋葉三尺坊大権現の伝説

1434年、今から約580年前のこと、静岡県春野にある秋葉山のふもとにある夫婦が住んでいました。この夫婦は子どもに恵まれなかったため、秋葉山へ毎夜12時に100日間願掛けをした結果、ようやく1人の男の子に恵まれました。この男の子が、福厳寺ご開山である盛禅(せいぜん)和尚です。

盛禅和尚は幼少期からずば抜けて聡明であったため、森町の大洞院(だいとういん)の霊岳(れいがく)和尚に見込まれ、大洞寺に修行に入ります。しかし霊岳和尚が高齢であったため、修行半ばにして、霊岳和尚の一番弟子で、当時、野口の宝積寺(ほうしゃくじ)におられた月泉(げっせん)和尚の元へ修行の場を移します。月泉和尚は、まだ若く才能に恵まれた盛禅和尚の将来を見越して、比叡山へ修行に行くようにすすめました。

比叡山にて行を修めた盛禅和尚は、千日回峰業に挑みましたが、無念にも回峰業の途中に倒れてしまうのでした。その時、夢枕に立って「月泉和尚高齢のため、尾張野口の宝積寺に戻って人々の教化をするように」と啓示を下さった方が秋葉三尺坊大権現でした。

盛禅和尚はその啓示に従って再び野口の宝積寺に戻られました。その後、比叡山で修行を積んだ高僧が野口にいらっしゃることを聞いた当時の大草城主、西尾道永氏は、盛禅和尚に弟子入りをし、大草城の南側に位置する広大な土地を寄進し、そこに盛禅和尚を迎えて創建されたのが福厳寺でした。

以前から度々夢枕に立って啓示を下さる秋葉三尺坊を守護神と仰いだ盛禅和尚は、福厳寺創建の際、境内に秋葉三尺坊本殿を創建し、静岡の秋葉山より三尺坊を勧請されました。そして、三尺坊の命日であるとされる12月16日に、秋葉大祭が開催されるようになったのです。現在は参拝者の便を考えて、大祭を12月の第2日曜日としています。

全国に秋葉三尺坊を祀る社は複数ありますが、福厳寺の創建の際、突然旅の僧が現れ、10人力もの力量を発揮して創建工事を手伝い、その後こつ然と姿をくらましたことから、「その僧こそ、秋葉三尺坊その人ではなかったか」との言い伝えが残っています。

可睡斎との関係

明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の騒動の際、三尺坊のご本尊を守るため、秘仏である本尊は秋葉寺から可睡斎に移されました。しかし秋葉山との関係がより深い福厳寺がその鍵を預かり、大祭の際に、可睡斎へ鍵をお渡しするという習慣がしばらく続いていました。